宗教者核燃裁判原告ら岡山で脱原発結集

原発避難計画は破綻 

能登半島地震が証明 「いのちに対し」無責任

仏教タイムス2024年5月16日

青森県六ケ所村の原子力施設(再処理工場など)の運転差止を求める「宗教者核燃裁判」の原告らが4月24日、岡山市北区の臨済宗妙心寺派蔭凉寺で「脱原発結集・全国キャラバンin岡山」を開催した。奥能登出身の長田浩昭(真宗大谷派法傳寺=兵庫県丹波篠山市)が石川県珠洲市の反原発運動の歴史や能登半島地震の被災状況を報告。避難計画の杜撰さを指摘し「地震大国のなかで原発があるということが、住民の切り捨て以外の何ものでもないと明らかになった」と断じた。

岡山市内で街頭アピールを行った参加者たち ©仏教タイムス

震災直後から被災地入りしている長田氏は復旧が進まない現状に「いま能登半島には全く人手が足りない。知事はいま助けて下さいと言わないといけない。これほどの震災でこれほど人の姿を見ない現場を経験したことがない。能登割等でもし旅行に来るなら1日でもいいので能登に入って手を貸してほしい」と呼びかけた。

1989年、珠洲市で10基の原発計画が浮上、昨年5月と今回の地震の震源地近くが立地予定地だった。当時、長田氏も参加した反原発運動は10人から始まり、その後町を推進派と反対派に二分しながら広がった。今回の震災で被災した蛸島漁港の漁師たちが座り込みで事前調査を阻止し、輪島の海士町の人々がそれを支えた。2003年に計画は白紙となったが「親戚や友人、全ての人間関係に大きな傷が残った。誰もが今回被災者になった。家を失った人が避難所で珠洲原発がなくてよかった、と笑っていた。深い溝が今回の地震で乗り越えられるかもしれないと少し希望を感じた」と話した。

輪島市の南側に位置する志賀原発(志賀町)は幸いにも3・11以降稼働していなかったことで非常事態を免れたが、地震によって道路が寸断された状況で住民避難ができないことが露呈。長田氏は「全ての避難計画は破綻した。地震大国のなかで原発があるということが、住民の切り捨て以外の何ものでもないと明らかになった」と断じ、原子力に携わる司法や行政、科学者たちの、「住民のいのちに対する無責任さ」に憤った。「もし原発が立ち並んでいたらどうなっていたか想像してほしい」と問いかけ「人々の暮らしを奪う放射能の被害を、珠洲の人たちが止めたことを忘れないで」と訴えた。

原告共同代表の中嶌哲演氏(真言宗御室派棡山明通寺住職=福井県小浜市)と内藤新吾氏(日本福音ルーテル稔台教会=千葉県松戸市)が核燃裁判の概要を説明。中嶌氏は電力を大量消費する都市部の沿岸部には火力発電所が並ぶ一方で、危険な原発が過疎地に押し付けられている差別構造を批判。「原発阻止の運動は後からくる世代にも重要な役割がある」と意義を示した。内藤氏は再処理工場が原発よりも危険なうえ、耐震基準が非常に脆弱な点を理由に運転差止を求める「樋口理論」を解説。核燃サイクル事業と核兵器開発の関係にも言及しながら、原子力行政の根幹である再処理工場の停止が「全国の原発を止めることになる」と強調した。

参加者との意見交換の後には幟や横断幕を持ち会場から岡山駅まで行進し、脱原発を訴えた。