〜仏教心理学・薬物依存・カウンセリング・仏教チャップレン養成〜
2019(平成31)年3 月12(火)~3 月15 日(金)
【開催場所】International Network of Engaged Buddhists (INEB) 本部、バンコク、タイ
報告者:菊川一道(浄土真宗本願寺派総合研究所研究員)
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【趣旨】2017 年11 月、浄土真宗本願寺派総合研究所と孝道教団を中心に開催された「仏教と自死に関する国際シンポジウム」を受け、協力団体である孝道教団、浄土宗、曹洞宗、INEB(International Network of Engaged Buddhists、仏教者国際連帯会議)、龍谷大学および海外の関係者を交えて「仏教と自死」に関する継続的な対話を行ってきた。そうしたなか、Engaged Buddhism(社会参加する仏教)の先駆けとして知られるタイでは、僧侶と医療界が密接な関係にあるのみならず、人びとの多様な苦悩をサポートするための僧侶養成プログラムなどが整備されていることが判明した。自死念慮者や自死遺族との関わり方、考え方については国や宗派によってその方法は様々であり、従来のテレビ会議を通じた情報交換には限界がみてとれる。そこでこの度、タイのINEB 本部にて開催された研修会に参加し、「仏教と自死」をめぐって現地僧侶および多様な国々からの参加者とともに互いの見識を披露し、対話を行った。以下、現地で行われた対話の内容について報告する。
【内容】3月12(火)“「死」をテーマとしたタイ僧侶との特別ワークショップ”
ワッツ ジョナサン(国際仏教交流センター研究員)
自死問題をめぐって各国ですでに多様な取り組みが行われている。私たちは2017年、自死に取り組んでいる宗教者に呼び掛けて、国際的なシンポジウムを東京と京都で開催した。東京の「自死・自殺に向き合う僧侶の会」が超宗派で草の根的に活動したのが仏教者による自死問題に関する活動の始まり。日本は先進国だが、自死率が世界で17番目に高い。事故死よりも6 倍多い。特に若者の自死率が高い。日本は自死問題を支えるシステムが不十分。西洋と違い、日本では日常会話のなかで自己の悩みや苦しみを他人に話しづらい。こうした状況のなか、多くの宗教者が自死問題に関心をもって自死念慮者や自死遺族を支援している。そうした活動を紹介し合い、ノウハウを共有し、互いに学び合う機会にしたい。
【発表1】菊川一道(浄土真宗本願寺派総合研究所研究員)
本願寺派における自死問題に関する取り組みについて、「京都自死自殺相談センター」「Life Walk」「別離の悲しみを考える会」「とうほくSotto」の4 つの活動を紹介。自死の苦悩を抱えた方や自死遺族の居場所作り、電話やメールによる相談活動などの重要性を指摘するとともに、これらの活動が自死・自殺の「防止」を目的としたものではなく、死にたいほどの苦悩を抱えた方々の想いをそのまま受けとることで、苦しい気持ちが和らぐことに主眼が置かれていることを紹介した。
【発表2】Phramaha Suthep Suttiyano(President of Kilanadhamma, Mahachula Buddhist University, Lecturer on Buddhist Psychology)
釈尊は病に苦しむ患者を看病した弟子たちを褒めた。そのことが基礎となって活動が行われている。それは本人にとってもサポートする人にとっても利益となる。我々のグループはチュラーロンコーン大学を卒業した二人の僧侶によって創設された。タイの仏教は日常生活のあらゆる場面に関わってきたが、今、その状況が変化している。僧侶は自分より知識が劣っていると考え、僧侶を避ける人もいる。僧侶側も、以前は人びとの生活のあらゆる面にもっと関わっていたが、いつの間にか死に特化してしまった。やはり僧侶は生前から人びとと関わることを大切にすべき。我々は二つのことを行っている。一つは、20 名以内の遺族や知人を招いてワークショップを行う。一緒に読経し、法話を聞く時間もある。そこで気持ちを分かち合い、孤独でないことに気づいてもらう。患者だけなく、家族や親戚にも同様の気づきを得てもらう。医師や看護師など、医療従事者も苦しんでいる。彼らのサポートも行っている。症状を緩和するのではなく、すべての人の苦しみに向き合うことを重視している。ボランティアの僧侶は研修を受ける。初回は活動について学び、2 回目以降は傾聴などのスキルを学ぶ。現実と期待値のギャップが増えるほど人間は苦しむ。現実は変えられない。しかし期待値は変えられる。自分の期待値を下げることが可能かどうかを一緒に考える。あくまで自分自身での気づきを促す。僧侶はあくまでファシリテータ。最終的に、研修生の僧侶は現場トレーニングとして、実際に患者と接し、医療従事者を含めて振り返りを行う。その後、僧侶が希望すれば次のカウンセリング活動のステップに進む。こうした養成プログラムのもと、医療の現場で活動する僧侶が少しずつ増えている。
Q: 医療従事者は僧侶を容易に受け入れるのか?
A: 僧侶は直接患者の病床を許可なく訪問するのではなく、看護師など医療チームと連携して訪問する。ある一つの病院から始まった活動が、次第に広がっていった。成長するには時間がかかったが、現在は多くの病院で受け入れられている。僧侶を受け入れてくれる医師がいるかどうかが鍵になる。
【映画上映】Learning to Face Death with Grace
仏教徒のある女性が癌を患いながらも、仏教の教えのもとに死と懸命に向き合う様子を収めたドキュメンタリー。彼女は西洋医学にもとづく治療を身体にとっての暴力と考え、自然療法を選択し、仏教によって安心を得ようと試みた。癌にすべてを奪われるのではなく、痛みに人生を左右されるのではなく、ありのままの自分を見つめ、病以外にもたくさんの美しいことがあることに彼女は気づき、癌を身体の一部と捉えて執着することをやめる。彼女にとって、いつしか死を迎えることは「真如に戻っていくこと」となった。死後の恐れは避けられないが、「マーラー闘うのではなく、うまく付き合うこと」という彼女の死生観は、現在も各国で病に苦しむ人びとの支えとなっている。
【発表3】Phra Woot Sumetho(Siam Network of Engaged Buddhism- SNEB)
タイ仏教界を代表する僧侶であるパユットー(P. A. Payutto)の「A Constitution for Living: Buddhist Principles for a Fruitful and Harmonious Life」はタイで最も読まれている書籍。この書籍に私たちの活動の考え方が示されている。私たちは木に法衣を巻いて木を得度させることで、森林保護を行う活動をしてきた。当時は人の頭の大きさだった木々が今は育って森になっている。得度させれば伐採業者は切れない。自死対策にも取り組んでいる。タイではすでに自死対策・予防ケアのグループがある。去年、Peaceful Death Training というイベントを実施した。幸せな死を迎えるための世界最大のワークショップ。16 年前に始まった小さなワークショップを医療現場で開催したのが始まり。当時、医療は終末期ケアの仕方がわからなかった。こうしたなか、教育関係のNGO が緩和ケアのコンセプトを取り入れてワークショップを開催。公衆衛生の関係者や医療従事者も参加するワークショップでは、本やビデオなどの学習ツールが生まれた。それらを活用することでタイでは終末期ケアへの意識が高まった。Living Will(エンディングノート)も作った。今、穏やかな死への関心が高まっており、死ぬ前に必要なことを書き出す人が増えている。「Happy Deathday to You」といえる日を迎えるために、死をタブー視せず、積極的に語り合い、自分の死をデザインすることを目指している。死は終りではない。僧侶は生前から人びとのケアに関わることが大切。
【発表4】久松彰彦(曹洞宗総合研究センター研究生)
伝統仏教の3 つの宗派で自死にまつわる追悼法要が行われている。曹洞宗でも超宗派の追悼法要にノウハウを得て取り組みを始めた。曹洞宗といえば座禅のイメージが強いだろうが、法式作法も発達している。追悼法要では儀礼と茶話会を行う。儀礼では『般若心経』と『法華経』を読む。この二つが最も日本で有名な経典だから。亡き方に事前に手紙を書いてきてもらい、それをお炊き上げする。お炊き上げによって、死者に遺族の想いを届ける。参加者の2 割が男性、女性が7 割。以前は曹洞宗関連のホテルで開催していたが、20 回目には本山で開催した。それによって多様な世代の人に参加してもらった。ある調査から、宗教的信仰は健康との関係はないが、儀礼への参画が精神状態にとっていい影響を及ぼしていることがわかった。儀礼の重要性を改めて実感している。しかし残念ながら、過去に自死問題に関わる僧侶を育成しようと考えたが、あまり興味を持つ僧侶は多くなかった。今、総持寺で行っている追悼法要に若い修行僧が手伝いにくる。現場を見てもらうことで、将来的により積極的に自死問題に関心をもってトレーニングを受けて欲しいと考えている。
【発表5】竹本了悟(京都 自死・自殺相談センター、Sotto)
京都自死・自殺相談センターはNPO 法人なので社会に開かれた活動だが、死にたい
気持ちを抱えた人がどうすれば救われるのか、ということについては仏教(真宗)の考え方が背景にある。私たちの活動は「自殺対策」ではなく、死にたい気持ちを抱えた人の側にいることを大切にしている。死にたい気持ちをもった人を放っておけない、出来ることをしたい、という気持ちで活動に取り組んでいる。Sotto では仏教的なアプローチを大切にしている。実際にはメール相談や電話相談を受けている。毎年2000 を超える相談を受けている。「おでんの会」と称する居場所づくりも催している。毎回定員オーバーの状態。自死念慮者と向き合うとき、大切なことは理論ではなく、感覚を身につけること。感覚を身につけて、それを受けて理論をもって確認をしていくことが重要。「死にたい」という気持ちは特別な気持ちではない。お昼に眠たいと思ったり、様々なことでイライラすることがある。それは様々な状況によって生じる。多くの場合、気持ちは元の状態に戻るが、状況が深刻であればあるほど、自分が必要とされていないと感じたり、消えて無くなりたいと思ったり、孤独を感じる。私たちの活動は「孤独」をどうにかすることに主眼がある。孤独を和らげるために必要なこと、それはシンプル。本人にとって「温かい」「大切にしてくれる」と感じられる何かが一つでもあるかどうか。仏教の場合、それは仏さまだろう。私にとって、阿弥陀仏とともにいるという感覚が救いであり、孤独が解消されている状態。世界の根本は阿弥陀仏によって満たされている。状況によって人の感情は揺れ動く。それでも世界の根本が阿弥陀仏によって満たされることが真宗の救い。信仰をもっていない人にはそれを伝えることは難しい。だから、せめて自分自身が孤独を抱えた他者にとって温もりを与える存在でありたい。
Q:相談者のケアはどのように行われるのか?
A:人は人の温もりによって支えられ、癒される。温もりを互いに感じあえるチームづくりを心がけて対人支援活動に取り組んでいる。
【内容】3月13(水) “仏教思想と現代心理学の関係”
【講演1】Yongyut Wongpiromsarn( Senior Advisor, Department of Mental Health Ministry of Public Health, Thailand)
私は精神科医として働いている。これまでヴィパッサナー瞑想を心理学に応用することに取り組んできた。タイは仏教国だが、9 割の人は瞑想を実践したことがない。彼らにどう瞑想・マインドフルネスを適用するかプログラムを考えた。20 年前、「仏教心理学」と検索すればたくさんの関連サイトがあったが、現在はない。宗教と世俗を分けたいという意識が強くなるなかで、議論されなくなった。政教分離に加えて、宗教を心理学や医療から切り離そうという動きが強まった。
しかしその後、西洋でマインドフルネスに基づくストレス低減法が注目を浴びた。宗教的要素を排除した瞑想を考案した。つまり仏教を心理
学に置き換えようとした。その影響によって再度、タイで瞑想・マインドフルネスが注目を浴びている。タイでも仏教的要素を取り除いた形で瞑想が注目を集めている。今ではマインドフルネスが心理学の中心になっている。そこでは「苦しみから解脱する」とはいわない。あくまでストレスやうつ病からの解放が強調される。仏教用語を使わずに
心理学用語が用いられる。WHOの統計によれば、抗鬱剤のために使われている費用は、抗生剤よりも高い。そうしたなかで、うつ病に効果があるとされるマインドフルネスはこれからも注目されるだろう。
西洋のマインドフルネス療法にはヴィヴァサナ瞑想の一部だけが切り取られている。私たちはヴィヴァサナ瞑想をより包括的に取り入れようと試みている。まず、意識に集中する。人間はネガティブな出来事を記憶して捉われる。マインドフルネスはそうしたネガティブな意識を解消する。落ち着きを取り戻せば、平
静が保たれ、心が安定する。高次な意識には静かな状態(止観の止)と、動的な状態(止観の観)がある。後者がマインドフルネスにあたる。タイのマインドフルネス療法は不安軽減がめざされている。心の落ち着きを獲得し、そしてサマディー(三昧)に入れるように指導する。一つの対象に集中する。すると雑念が収まり身体と心の落ち着きを取り戻す。意識で生じていることの逆の状態になる。通常は雑念が起こり、ネガティブな情報を蓄積してストレスが起こる。ストレスが生じるプロセスと真反対の方向に進む。1 分間瞑想し、呼吸に集中する。鼻の先には敏感な感覚が宿る。呼吸は常に存在する。脳では選択的な認知が行われている。選択的な認知をすれば、より容易に呼吸に集中してサマディに入ることができる。我々の通常の意識では正念を保てていない。正念を保てたなら、自分の思いや言葉を落ち着いて観察できる。雑念一つひとつに名前をつけ、手放すことを提唱する。通常、負の感情が生じた時、それをポジティブな感情に変化させようとする。そうではなく、生じては消滅することを後押しする。
マインドフルネスは薬物依存やPTSD などの患者へも極めて有効。私たちはマインドフルネスを様々な場で実践する。週1 回を2 ヶ月間続ける。まずは不安をなくすための瞑想。身体と心の感覚を手放すことを練習する。そして他者との関係について振り返る。どこにいても、負のコミュニケーションが生じがち。自分の言葉や心の動きに気づければ、落ち着きを取り戻すことができる。それをすべての日常生活に適応させる。
Q:ネガティブな感情、ポジティブな感情という話があったが、どのように捉えられているのか? マインドフルネスにともなう理想の状態をどう考えているか?
A:ポジティブ・ネガティブは世俗的な用語。メンタリティが一番影響するのが負の思考。負の思考への気づきを得て、それを手放すことを目指す。仏教ではあらゆる感情は無常という。しかし世俗レベルではそれは通じない。幸せも無常といえば、多くの人は理解できない。理想の状態については、うつや不安、トラウマや薬物依存で苦しんでいる人が解放され、自由になる、機能不全だった人が回復する。そこが理想。
Q:瞑想が逆にうつ病を悪化させた事例もある。瞑想は即座に治療とはなりえないことを知っておく必要があるのではないか?
A:瞑想はマインドフルネスを学んだことがない人に対して有効。精神病が深刻な状態のときにはマインドフルネスを実践しないこともある。
Q:釈尊が説いた実践の一部を切り取って現実世界に適応させることに違和感と危険を覚える。瞑想は八正道の一部。戒定慧の戒によって状態を整えることなども大切では。
A:「金融マインドフルネス」という言葉がある。これを実践するともっとお金が儲かると。マインドフルネスが利用されているケースも確かにある。戒律がなければダメだという話があったが、困難を抱えた患者に戒律を求めるのは現実的ではない。まずは心が整うことから、身体の調子が整うはず。それによってより倫理的な生活が可能になる。仏教の信仰を持っている人には戒律は有効かもしれないが、信仰を持たない人にはそうではない。
【対話】Q:仏教者として心のケアに向き合う際、なにが「究極の目的」となりうるか?
Rahul Bam (Practical Life Skills Neuropsychiatric Wellness & Research Centre)
私たちの取り組みの場合、精神病を患っている人はまず精神科を受診し、医師の診断をあおぐ。脳の障害が疑われるなどの場合、薬を投入して落ち着かせる。私の活動の8割は病院内で行っている。仏教の目的は悟り。しかしそこに至るステップは六波羅蜜かもしれないし、止観かもしれない。修行などについて客観的なデータをとって検証できれば、仏教のすべての内容をもっと活用できると考えている。私は実験を大切にしている。私の最大の課題は仏教を数値化すること。私たちのセンターでは六波羅蜜を1 日1 つ実践する。ある程度データが集まったがすぐに結論を出すことは難しい。観察者の立場によって主観的な分析を行ってしまうことがあるから。私自身、仏教をたよりに薬物依存から回復した経験を持っている。自身の経験を活かして仏教をもっと活用して人びとの苦悩に向き合いたい。
Kuppiyawatta Bhodananda (Mithuru Mithuro Movement for Substance Rehabilitation)
仏教で悟りにいたる道は様々。私はカウンセラーとしてマインドフルネスに基づくケアを実施している。患者の治療の仕方は似ている。すべてを使う必要はない。目的は心理学と違う。カウンセラーの目的は患者の機能改善を目的としている。他者に対する害を減らすということが大事。仏教はすべての煩悩を無くそうとするが、心理学では深刻な害をもたらす煩悩だけを除く。そこが大きな違いだと思う。
Pra Woot Sumetho (Siam Network of Engaged Buddhists)
私自身の経験をもとに、心の病を抱えた患者に対しては四正諦に基づいてケアを実施する。まずは問題がどうして生じたのかを患者自身に観察してもらう。患者の状況を外部からすべて知ることはできない。当事者の決断や選択が重要。我々は当事者の可能性を信じ、それを後押しする。しかし患者は自分の能力を発見できない場合もある。すべての人は自分の問題を告白することが出来、問題を乗り越えることが出来ると信じている。個々の可能性を信じ、後押しするのが僧侶の役割ではないか。西洋のカウンセリングは受け続けないといけない。上座部仏教のケアの方法は、自分で問題を解決する手段を提供することに主眼が置かれている。
久松彰彦(曹洞宗総合研究センター研究生)
煩悩は悟りの資本。心理学の文脈のなかでも、トラウマによる成長という方法もある。ネガティブなことを通じて成長する方法もあるのではないか。
Elaine Yuen (Naropa University)
私はアメリカにきたチベット仏教の師匠から学んだ。心理学と仏教の接点について学ぶことは重要。古典的な仏教を学んだ人らがどのように心理学的課題に取り組んでいくか。仏教者として仏教で培われた構造に自信を持ちたい。サンスクリットやパーリ語の専門用語を用いなくとも、仏教は様々な形で人を救えると思う。
Ani Losang Chotso (Maria Montenegro, ACPE board eligible interfaith chaplain)
私は仏教徒として瞑想を教えるだけでは不十分だと思い、心理学を学んだ。チェンマイで薬物医療の問題に関わった。ヨガ、瞑想、許しなどを教えた。人は互いの優しさで助けられる面が強い。人と人との支え合いが欠けていることが問題を生じさせていると感じる。愛された経験が欠落すると、心が沈んでしまう。
Ekkapop Sittiwantana (Peaceful Death Project)
私は大学院で現代心理学を学んだ。マインドフルネスのアプローチが採用されているのは喜ばしいこと。上座部仏教では実践が欠けていることが残念。頭では考えるが、実践が伴わないことが多い。有名な僧侶が人々を動機づける役割を担うことが大事だと思う。言葉や行動で模範を示し、他者を導くことが大切。
竹本了悟(京都 自死・自殺相談センター、Sotto)
釈尊はなにを発見したのかを考えることがある。釈尊はもともと家庭もすべて捨てて出家した。その出家時の精神状態は病的な状態ではないか。その後、悟りを開き、この世界に戻った。娑婆が苦しみだけの絶望の世界だったならば、この世界に戻って来なかったのではないか。捨てたはずの社会や家族のもとに戻って救いを説いて回った。この世界が苦しみだけの世界ではないと考えたから、戻って法を説いたのだろう。にもかかわらず、私たちは世界を汚して過ごしている。ここに問題があると思う。
Rahul Bam (Practical Life Skills Neuropsychiatric Wellness & Research Centre)
仏教宗派によって、さとりが外から来るか、内から来るかの解釈の違いがある。しかし、いずれもさとりが心の中にあるということに違いはない。仏教の違いを強調するよりも、共通点に注目すべき。私は愛と受け入れによって薬物依存を克服した。その経験から、相談者の話す内容を否定したり批判したりしない。薬物依存の場合、決して誰にも話せないことがある。受け入れてほしいという葛藤がある。その想いを受けとることから始めなければならない。
竹本了悟(京都 自死・自殺相談センター、Sotto)
日本では薬物依存に対して犯罪者のような扱いを受ける。しかしここ数年、転機を迎えている。依存者を攻撃したり、排除する方法では彼らが本当に依存から回復することはないということが認識されつつある。その際、強調されるのは「居場所」づくり。役割を持てる居場所があることが、依存者にとって大切だと言われている。まさにサンガ(コミュニティ)の力といっていいのではないか。
紺野舜介 (浄土宗、関東自殺防止僧侶会)
薬物中毒に対応している方と話したことがある。興味深かったのは、認知行動療法が役に立たなかったということ。何が彼らにとって一番の平安になるかと言えば、繋がりだった。同じ薬物患者同士や乗り越えた人との繋がりが大きな役割を果たした。そこで彼らは温かさ(慈悲)を感じ、薬物から逃れられた。他者との繋がり、居場所の重要性を私も感じている。
【内容】3月14(木) “心のケアのための僧侶養成”
ワッツ ジョナサン(国際仏教交流センター研究員)
「薬物依存からの回復」について、昨日大きな話題になった。薬物は日本では厳しく規制されているので手に入りづらい。しかしアルコール依存症はある。重大な問題と認識されていないが、他国では深刻な問題として取り上げられており、仏教者がサポートに取り組んでいる事例がある。先駆的な事例から学びを得たい。
【発表1】Kuppiyawatte Bodhananda Thero (Founder and Director of the Mithuru Mithuro Movement, the first and the largest Buddhist Rehabilitation Centre in Sri Lanka)
※ 今回、ビザが取得できなかったため不参加。ワッツ氏が代わりにBodhananda 氏の活動を紹介。スリランカで最初の薬物依存ケアセンターを立ち上げたのがBodhananda 氏。全国に5 つのセンターがあり、これまで5000 人をサポートしてきた。仏教のコンセプトを取り入れて日常生活に活かしている。彼は30 以上の国内外の賞を受賞している。Bodhananda 氏のことを入所者はみんな父親のように感じている。Bodhananda 氏は僧侶としてNY へ行き、依存症からの回復プログラムに仏教的要素を加えてスリランカに持ち帰った。最初は若者や子どもが薬物から解放され、居場所のない人のための小さな施設だった。そこにはスタッフやカウンセラーはいない。いるのは全て依存症経験者。お互いに家族のような関係で温かく全員を受け入れる。ルールを破れば体罰はしないが厳しく律せられる。グループから隔離され、反省を促される。隔離中はメンターと面談を行う。怒りを保っていることも多く、その状態を脱しなければ外には出さない。彼らの生活はすべて自炊。1 年間の治療プログラムだが、なかには5 年以上滞在している者もいる。センターでは仏教にもとづき、自身を大切にする態度を学ぶ。そこから依存症への回復プログラムがスタートする。最終的には単に薬物依存からの回復を目指すのではなく、社会に戻ったときに他者に奉仕できるような人間となるよう促す。心と身体と仏法の調和をはかり、負の行動をもたらす様々な要素を瞑想や戒律を通して取り除く。自己中心的な考え方から慈悲深い精神を導き出す。互いに欲望について話し合う。戒律のもとで責任を問われる。戒律(五戒)を破った時、本人はもとよりそれを知っていた者も罰せられる。その後、感情に目を向けるプログラムに移る。問題を起こした時、どんな気持ちになるのか、傷つけた相手がどんな感情になるのか、想像力を高める。家族も参加してもらって実施する。そこに住民も参加して依存者をモニタリングする。警察からも信頼された施設で、薬物保持で逮捕された人が施設に預けられることもある。犯罪者を互いにモニタリングする一方で、なにか善的なことを行った時、互いにほめ合う仕組みも充実している。各自がポストを持っていて、匿名で褒める手紙を入れる。こうして依存症から徐々に回復を促すのがこのケアセンターの役割。
Ani Losang Chotso (Maria Montenegro, ACPE board eligible interfaith chaplain)
多くの西洋の仏教界では「戒律」は全体主義なダメなものという考えが強い。規律を守らせることは必ずしもネガティブなものではない。規律が守られた空間が自己を育て上げるのだと思う。
【発表2】Rahul Bam (Practical Life Skills Neuropsychiatric Wellness & Research Centre)
薬物依存と呼ぶのは有害になってから。害が生じるかどうかが「依存」の境目。病気や死亡、暴力を招く事態は依存の状況。1 人の依存患者によって家族を含めた20 名が人生に多くの影響を受ける。身近な人は引越しを迫られるなど、周囲の人にも多くのダメージをもたらす。私自身も薬物依存患者だった。ようやく回復して他者を助けたいと思うようになった。経験したからこそ、似た立場の人を救えるのではないかと考えた。
薬物依存に陥る背景には、先天的なものから幼少期の環境など様々。愛されない子どもはヘロインを試してしまうことがある。それによって脳に安らぎを感じる。幼少期に欠けていたものが満たされる。だから依存者は特定のドラッグに執着することが多い。なぜなら脳に欠けている箇所を穴埋めする機能を果たす薬物を好むから。自分の衝動を抑えられないことが依存からの回復を妨げる。
輪廻中の餓鬼は無智によって生じる。縁起を理解できていない状態。痛みや乾きだけが実体的に存在し、そこから逃げようとしている状態。ストレスから逃げたいという気持ちから薬物に頼る。その結果、根本問題は解決されずにより苦しみが増幅する。根本解決には因や縁が必要。常に因と縁を理解できるようにトレーニングする。一般社会では刑務所に入れられ、治療のための別の薬物を投与され、精神科に送られて電気ショックを受けさせられることもある。そこに寛容はない。
私の患者の多くは家族や警察、裁判所から入所させられる。私の施設はインドで唯一お金がかからないリハビリ施設。常に50 名が滞在できる。1 ヶ月は鍵のかかった部屋で過ごす。国から許可を得ている。通常は3 ヶ月のリハビリプログラム。人権という意識をインドも持つようになり、3 ヶ月以上の滞在を許可しない。
はじめは薬を服用せずに症状と向き合う。その結果、副作用が生じる。それに対してはビタミン剤を投与することもある。その後、精神科医が接触して今後の方針を決める。施設ではグループセラピーを行う。カウンセラーが当事者と目標の評価を行う。そこで自分自身の考えを表明してもらう。依存症を克服するためのスキルを考える。当事者が自身のことをどれほど分かっているのかを明らかにする。そうしないと必要なサポート方法はわからない。この場で当事者は仏教を学ぶ。罰するような方法は用いない。
依存症はつながりの欠如が大きな問題。依存症によって孤立する。つながりが欠如した状態で、自身だけの判断の思い込みに固執する。だからつながりの回復が不可欠。他者との関係を再生し、愛と慈悲を注ぐことがとても大切。一緒に映画にいったり外出したりする。家族は多くの場合、当事者の状態を自己責任と考えている。彼が悪いのだと。そのような状態では当事者は回復しない。家族や周囲も変化しないといけない。薬物に手を出すのは幸せになりたいから。つながりを取り戻し、楽しむこと、エンターテイメントがあれば薬物依存にはならない。だからより多くの人と触れ合う機会を促す。
施設では仏教の要素を取り入れている。六波羅蜜を採用している。布施波羅蜜では、まずコミュニティのなかで感謝することを重視する。15 日おきにイベントをして褒賞して布施を促す。衝動の抑制は忍辱波羅蜜。禅定波羅蜜に関して、まず新聞を読んでもらい、内容の説明をしてもらう。それによってどの程度、禅定を実践できているかを観察する。各波羅蜜を実践してもらい、数値化してどれほど出来ているか検証する。カウンセラーと当事者本人でスコア付けを行い、乖離がある場合はトレーニングを続ける。
【発表3】Phra PeterSuparo(修験道行者)
私たちの施設に特別な目標はない。もともと自然に発展し、薬物依存患者を受け入れる施設になった。遊行僧・森林僧がはじめた施設。施設周辺には山も洞窟もある。住民の布施によっても支えられている。最初の住職は元々警察官だった。退職して僧侶になった時、まだ30 代だった。ある人が彼を訪ねてきた。麻薬患者だった。患者は警察官だった時代から彼を慕っていた。そして「危ない状況なので同居したい」と言い出した。最初はNO と答えた。しかし患者は自分を変える意欲もあった。身体を浄化するだけでなく、仏教徒としてつながることが大事だと感じ、住職はお寺を解放した。以降、薬物依存者を受け入れる施設として次第に確立していった。通常、依存患者には投薬治療が行われる。薬に一旦慣れてしまうとそこから逃げられない。依存症は「やめた時に副作用が怖い」という人が多い。忍耐があれば人は止められる。餓鬼道から生まれ変わるとイメージしてもいい。身体の効果が現れるのを待つのではなく、積極的に依存症と闘う。私の施設では、薬物依存の当事者は到着すると、服を着替える前にまず祈りを捧げる。薬物に手を出さないことを何度も誓う。身口意それぞれのレベルで誓う。合わせて小さな誓いをする。自分がしたいこと、なりたい状態、なすべきこと、それを言葉にする。本人のやる気がなければ後押しすることはできない。線香が焼き終わるまで、真剣に誓いを考える。自分の意志に誠実であることを大切にする。与えられた義務は破っても他者とのもの。自分の誓いを破ることは自分にウソをつくこと。そこから依存症からの回復が始まる。
Q:「規律」(discipline)について施設ではどう考えられているか?
A:本人が何になりたいのか、という意志を大切にしている。だから当事者たちが自身で自身を律することを重視する。しかし規律が守れない人には離れてもらうし、自主的に離れる場合が多い。
Q:僧侶の生活は規律正しい。このプログラムを経て出家した者はいるか?
A:我々の僧侶のなかには元依存患者もいる。パートタイム、フルタイムどちらもいる。我々はホームレスの遊行僧。だからそこに短期的に参加する人もいる。
【精神科専門 病院訪問】Dr. Suttha Supanya, Somdet Chaopraya Institute of Psychiatry
シンガポールで得た医療施設の経験を経て、タイにも同様の病院を作りたいと思って出来たのがこの病院。タイでは精神病は治療の優先度が高くない。130 年の歴史をもつ国立病院の割には設備が整っていない。現在の場所に移転して75 年。土地が開拓されて施設が活用された。病院には500 ほどの病床がある。研修医の施設もある。精神科を専門とする看護師の研修施設もある。患者の多くは統合失調症を患っている。年間7万人の来訪者がいる。うつ病の方もその他の方も同じ病棟にいる。深刻な自死念慮でもない限り、入院はさせられない。急性の自死念慮者の場合、入院の後、電気ショック治療を実施することもある。
タイでは自死念慮者を支えるシステムが徐々に整ってきている。しかし市民の間で自死問題への意識は高くない。メディアでの自死の捉え方にも問題があると思う。現在、自死率は下がってきているが、急に高くなることもある。WHO の方針に基づきケアを実施している。WHO によれば、2025 年までに世界的自死率を低減させる目標を立てている。毎年世界で80 万人が自死で亡くなる。40 秒に1 人が亡くなっている計算。将来的に世界中で採用可能な自死防止プログラムができることが望ましい。統合失調やうつ、薬物乱用との関係もある。特定のものだけを取り上げて普遍的な対処法を編み出すことは難しい。
最近、ガスで自死する方が多い。以前は毒を飲むか、飛び降りが多かった。自死の方法がメディアで説明されることもあり、ネガティブな影響を与えていると思う。報道によって、自死を考えていなかった人も自死を考えてしまう。メディアやSNS の影響は強い。Facebook を通して知り得た情報やネットワークを介して自死を図る人も少なくない。しかし、現状では対処法は分からない。
自死念慮が極めて深刻な場合、一対一の24 時間の監視体制を敷いている。その後、一般病棟に送られる。さらに臨床心理士や看護師、ケースマネージャーが現場に早く駆けつける仕組みになっている。しかしそのような事態は異例。諸外国の事例を参照しつつ、環境を整えなければならない。自死念慮者に対しては、マインドフルネス瞑想が有効であることを、我々も認めている。皆さんとともに、どうすればより効果的に活用できるか考えていきたい。
Q:自死問題に関して、病院からコミュニティへの働きかけはあるか?
A:精神保健センターがあり、そこが退院した人々のアフターケアにあたる。農村地域では、ボランティアが精神医療の観点から人々のサポートを行っている。他に、ホットラインとして電話相談窓口も用意している。
Q:政府は自死問題への関心があるか?
A:タイでは各地域の自死の数は政府に報告される。中央でデータが集計され、メディアでセンセーショナルに取り上げられると、国は精神衛生チームを派遣して、家族や学校、友人とともに対象者をサポートする。これにより以前より自死率が改善している。タイでは医療だけでなく「共感」を重視する。誰かがそばで聞いてくれるだけでいい。周りに人がいるだけでいい。それだけで自死念慮が軽減することがある。
【内容】3月15(金) “医療従事者と宗教者の連携”
【発表1】Elaine Yuen (Naropa University)
私はアメリカで40 年以上、仏教徒としてスピリチュアルケアについて考えてきた。色々な人とコミュニケーションを実施する方法を考案してきた。それによって人々がより高次な心の状態にいたることを目指してきた。アメリカでの終末期は多様な問題を抱えている。ナローパ大学ではすべての学生がコースの3 分の1 をインド仏教やチベット仏教を学ぶために過ごす。空への理解を深め、瞑想を実践し、止観について最初に学ぶ。次に中観を学ぶ。チベット式の分析法に基づいて空性を理解する。こうした内容を書籍から学び、実践でも学ぶ。アメリカでチャプレンとして働く際に必要なスキルを提供する。患者はどのような信仰をもっているか分からない。なにが患者の心を温めるのかを考える。対話を通して見出す。信頼関係を構築することも重要。信頼なしの向き合いはテクニックに終始する。自分に正直であり、自分の境界線を知ることが大切。コミュニケーションは内的なもの。言葉や表情、ジェスチャーを通して全身全霊で信頼関係を作る。その後、対話が求められる。理解できるような枠組みを提供することも大事。禅のように判断せずに入る。他者の承認になる。釈尊がマーラーを見て受け止めたのと同じ方法。「身体」「心」「言葉」を使って人と向き合うことを重視する。手を取り合い触れ合うこともある。昨日の病院ではたくさんの機械があった。そういう環境でチャップレンは人と人との温かさを伝える。私たちは学生自身が精神的な成熟をともない、説教者ではなく、傾聴できる人材に育て上げる。
【発表2】Pra Paisan Visalo (Founder of the Buddhika Network for Buddhism and Society)
私の活動の一つは、「看取りと死」に関するワークショップの開催。目的は人々が死を受け入れ、歓迎すること。癌などで末期状態の方やその家族に参加してもらう。ヒーリングに関するトレーニングプログラムも開催している。遺族に対するケアイベントも行っている。愛する人を亡くした人は悲しみや怒りなどの感情を抱いている。その人たちに仏法を与えるだけでは意味がない。コップに水がいっぱいの状況では何も注げない。
心がいっぱいの状態では仏法は受け入れられない。コップを空にするように、当事者と接し、彼らが感情を思いのままに吐露できるようにケア提供者は信頼ある友達のように向き合う。僧侶は信頼関係を構築して、全身全霊で側にいる。傾聴する。心の最も深いところから聴く。マインドフルネスをもって傾聴することにより、患者を理解出来るようになる。相手の感情を理解できるようになる。
「患者の言うことを聞きなさい。注意を持って深く聞きなさい。マインドフルに。そうすれば診断が明らかになる」とある心理学者が言った。サンフランシスコでホスピス僧がいくつかの原則を主張する。例えば、患者に向き合うとき、理論を持ち込まない。回答を用意しない。「なにが苦しみのきっかけか」を尋ねる。すると人は自分自身を見つめる。ときに、人は自身の感情、例えば恐怖や怒りや悲しみを理解できていない。つまり苦悩の原因を発見するということ。その後、「なにが解決法になるか」を自身で発見してもらう。これは四聖諦のプロセスそのものといっていいだろう。ワークショップでは人々に心のケアを提供できるための研修プログラムもある。ロールプレイなども実施する。
Q:僧侶は者よりもハイステータスと考えられている。そうした状況下で、一般人との「友情」「友だち」は可能か?
A: 友情は地位、ステータスとは関係ない。相手から学ぶ姿勢を大事にすべき。
【発表3】竹本了悟(京都自死・自殺相談センター理事)
自死問題に取り組むことになったのは2007 年。はじめに『経典』で自死をどう考えるのかを調べた。するとたくさんの記述が見つかった。自死を偏見の目で見るのではなく、向き合ってきたことの証だと考えている。もう一つ、僧侶へアンケート調査を実施した。加えて実際に自死問題に取り組む活動者から話を聞き、彼らの研修会にたくさん参加した。自死の支援者と出会うなかで、最も素晴らしいと感じたのがサマリタンズの活動であった。サマリタンズのトレーニングを1 年ほど受講し、実際にそこの相談者になった。素晴らしいと感じた一方、違和感もあった。一つは「自己決定権」。「神から与えられた権利」という感覚。もう一つは「愛」。愛の実践の感覚も違和感があった。我々自身の信仰から理論が導かれるべきだと考えた。日本には仏教者でも実践を行っている人がいたが、多くの場合、心理学など他のアプローチ法を手本にしている状態に違和感を持った。
そこで2009 年から、自身で理論構築や、どのようなロールプレイの方法が適切かを試行錯誤しながら作成した。その方法は「自死問題」に向き合い、単純に「死にたい気持ちが和らぐ」「孤独が和らぐ」ことを目指すものであり、それ以外の問題にも広く活用できるものではない。トレーニングで重視しているのは理屈よりも実践。まずは経験をし、気づきを得てから理論化する。トレーニングでは自死念慮者の感情をありのままに受けとる訓練を行う。相手の気持ちを聞くということが最初のステップ。次に、自死念慮者の「死にたい」という訴えに対して動揺せず、ふれることが大切。最後は、相手の気持ちを受けとるということ。気持ちを受けとることは受動的ではなく、実際には能動的。相手の気持ちと一緒に揺れることが重要。死にたいという気持ちはネガティブな印象が強いが、どんな感情であれ、気持ち同士が触れ合うことは心地よいことだ、ということを知ってほしい。良き相談員が良きリーダーになるには、自分が得た価値観を言葉にして表現できるということ。借り物の言葉ではなく、自分が腑に落ちた、自分の感覚でなければならない。
【対話】
ワッツ ジョナサン(国際仏教交流センター研究員)
宗教者の医療界への参加は、日本では非常に難しい。現代においては政教分離の教えのもと、宗教者は周囲に追いやられている。先日、ジョンハリーファックスさんが来日して慈恵医大で講演をした。医師たちはとても関心をもった。しかし日本の多くの医師たちは国外から輸入された仏教には関心があるが、地元のお寺には行こうとはしない。そのようななかで僧侶が医療施設で活動するのは困難を極める。
竹本了悟(京都自死・自殺相談センター理事)
仏教者が医療界に入りづらいのは、思想的なことよりも、社会構造上の問題。宗教施設はもともと病院施設であり、福祉施設であった。それを政府が剥奪していった。国は宗教教団になるべく力を持たせないような形で形成されている。もう一つは、宗門大学の問題。元々、僧侶は僧侶が育成した。しかし現在は、客観的な文献学が重視されるなかで僧侶が育ち、生きた仏教に触れられていない。そこにも問題があるように思う。
菊川一道(本願寺派総合研究所研究員)
竹本氏の指摘に加えて、戦争の問題もあるように思う。歴史を紐解けば、確かに僧侶が社会活動を行っていたことがみととれる。しかし第二次世界大戦を経て、次第に下火になる。戦争協力をしたことで、社会との関わりが否定的に捉えられるようになっていった。こうしたことも僧侶自身が社会との接点を積極的に持てない背景としてあるように思う。
Pra Paisan Visalo (Founder of the Buddhika Network for Buddhism and Society)
社会のどの側面に目を向けても、見落としてきたのは精神性。社会活動は自身の精神修養にもなる。私は肉体的な幸福と心の幸福という別々に扱われてきた問題を一つにしたい。両者の調和によって安寧が得られる。大半の医療従事者は仏教的な物の見方をたよりとせず、人間の身体だけを見る。臓器だけ、あるいは病だけを見る。仏教的な価値観をもっと伝える必要がある。
【今後について】
・自死問題への関心をもつ僧侶のネットワークが広がりつつある。互いに刺激を受け、各々の現場に戻って活動している。このネットワークを一層拡大し、継続的な交流を行うためにも研修会を定期的に場所をかえて開催したい。
・自死問題について活発な対話が実施出来たが、一方で実践面に関しては想像上で止まっている。異口同音に「マインドフルネス瞑想」について言及されたが、詳細を聞けば、その方法は多様。そうした実践を実際に体験するワークショップがあってもいい。
・僧侶養成に関するトレーニングプログラムもグループごとに多様な方法が見てとれた。今後、実際にプログラムを体験することで、自身のグループ内での僧侶養成に役立てたい。
・これまでの対話を含め、話し合った内容などを集約し、誰でもアクセス可能なアーカイブのようなものを作ってはどうか。将来的にはアーカイブの情報をもとに、「自死問題と仏教」にまつわるビデオ教材やテキストなどを作成することも考えたい。
【所感】
以上、4 日間にわたる研修会の様子について報告した。各国の多様な仏教徒が立場の違いを超えて自死という世界的課題をめぐって理解を深め、議論するなかで、参加者一人ひとりが仏教者の生き方について考え直す契機を与えられた。各発表者から得る自死問題への取り組みや理念、活動者育成プログラムなどの情報は極めて有意義であった。しかしそれ以上に、参加者が仏教徒として情熱や慈しみの心をもって他者の苦悩に向き合う姿に触れることで、各々が活動へ向かう意欲が一層後押しされたことが参加者にとって最大の収穫であったように思う。通常、僧侶養成では、まず知識を獲得した上で実践する、という方途が一般的だが、先に現場を体験することで、一層、知識習得への意欲が沸き、積極的な活動へと展開できることを身をもって実感した。
自死問題に関して、世界レベルでは「マインドフルネス瞑想」による取り組みが推進されている。そうしたなかで、浄土真宗はどのような立場・方法で人びとの苦悩に向き合うのか。マインドフルネスをやみくもに否定するのではなく、その効果や課題を検証しつつ、しかし真宗独自の視点に基づく活動を展開することによって、結果的に多種多様な人びとの生を支えることが出来るのではないか。
2017 年度の本願寺派と孝道教団主催の「仏教と自死に関する国際シンポジウム」が契機となり、自死問題に関わる仏教徒の連携は広がり続けている。他教団関係者から、日本最大宗派の本願寺派が音頭をとったことで、活動の輪が広がっていることに感謝と敬意の言葉が相次いだ。と同時に、今後も継続的な協力について依頼があったことを最後に申し添えておきたい。
【参加者】
Japan (日本)
岡野正純(孝道教団統理・国際仏教交流センター代表)
ワッツ ジョナサン(国際仏教交流センター研究員)
宇野全智(曹洞宗総合研究センター研究員)
久松彰彦(曹洞宗総合研究センター研究生)
竹本了悟(京都自死・自殺相談センター理事)
藤井一葉 (本願寺派、若手僧侶団体ワカゾ―、フェスカフェ主催)
紺野舜介 (浄土宗、関東自殺防止僧侶会)
トム・エスキルセン(通訳者)
Thailand (タイ)
Prawate Tantipiwatanaskul (MD.,MPH)
Pra Paisan (Buddhika Network for Buddhism and Society)
Polpat Losatiankij (14th) (Somdet Chaopraya Institute of Psychiatry)
Win Mektripop (Sekiyadhamma Network of Engaged Buddhist Monks)
Pra Woot Sumetho (Siam Network of Engaged Buddhists)
Ekkapop Sittiwantana (Peaceful Death Project)
USA (アメリカ)
Elaine Yuen (Naropa University)
Ani Pema (Karen Shaeffer, counselor)
Ani Losang Chotso (Maria Montenegro, ACPE board eligible interfaith chaplain)
Myanmar (ミャンマー)
Nandiya (Walpola Rahula Institute for Buddhist Studies, Sri Lanka)
India (インド)
Pragya Saruchi (Buddhist psychology)
Rahul Bam (Practical Life Skills Neuropsychiatric Wellness & Research Centre)